射水市南部方面団 戸破(ひばり)分団

〒939-0351 富山県射水市戸破
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消防団写真

消防組時代 (嘉永5年~昭和14年)

◆  嘉永5年(1852年) ◆
・・拾七万石支配奉行の今村五郎兵衛は、小杉消防組を組織する。

◆ 明治5年 ◆
・・東京よりポンプ作成師を招き、2年がかりで竜斗水ポンプ三基を作成し、役所と東町、西町にそれぞれ配置する。(当時の常備消防夫30名、臨時消防夫70名計100名)

◆ 明治7年1月6日 ◆
・・始めて梯子登り行事を行い、消防に勇姿を披露した。戦時中は一時中断したが、昭和27年まで続いた。

◆  明治26年9月 ◆
・・独逸型腕力ポンプを購入す。(価格は175円)

◆ 明治27年5月18日 ◆
・・始めての公設の消防組が組織された。戸破、三ケ、大手崎の三区域に消防組を分けて設置した

◆ 大正元年4月1日 ◆
・・黒河村消防組を創設する。

◆ 大正元年4月1日 ◆
・・土代部落に私設消防組を設立する。

◆ 大正11年9月1日 ◆
・・大江私設消防組が創設され、14年に公設となる。

◆ 大正11年10月11日 ◆
・・ガソリンポンプを購入し試験運転並びに披露式を行う。

◆ 大正13年 ◆
・・青井谷消防組を創設する。

◆ 大正14年 ◆
・・公設の池多村消防組を創設する。

◆ 昭和3年5月1日 ◆
・・金山、青井谷、上野各消防組を統合し金山消防組を結成する。

◆ 昭和6年11月20日 ◆
・・シボレー31型消防ポンプ自動車を購入する。

◆ 昭和7年12月22日 ◆
・・小杉町水道布設工事が完了し、各町内に1~2個の消火栓が設置される。

警防団時代

昭和4~5年(1929年から1930年頃)から、軍部の指導により、民間防空団体として防護団が各地で結成されました。

国際情勢が悪化する中で消防組と防護団を統合し新たな警防組織を設けるため、昭和14年(1939年)1月に勅令をもって「警防団令」を公布しました。これにより明治27年に公設小杉消防組が設置されて以来、50年の長きにわたって雄々しく発達をとげてきた小杉消防組も小杉警防団と名称を改め、警察の補助機関として従来の、水、火災の防禦任務の外に防空活動が大きく位置を占めることになった。  

消防団時代

太平洋戦争の終了に伴う日本の民主化の流れの中で、昭和22年勅令185号の消防団令により、警防団に代って新たに消防団として組織された。

昭和22年5月3日の日本国憲法の施行に基づき、その理念のもと昭和23年3月7日には消防組織法が施行され、同年8月1日には消防法が施行され,いよいよ新しい時代が消防の世界にもきたのである。
この消防組織法の施行に伴い、政令59号をもって消防団令が公布され、従来の警防団時代の業務内容から防空業務を排除し、新たに消防団を設置し、平和国家建設の基礎条件である民生安定策の一環として、消防管理事務を市町村に移すことが最も妥当であるとの結論に達した。

小杉町でも昭和22年6月25日、小杉町消防団設置条例が公布施行され小杉町消防団となる。  

昭和46年12月にニッサンパトロールAー2級が配備される

平成元年12月元小杉町消防団長の青井策造氏の寄贈によりトヨタランドクルーザーが配備される

平成4年春 戸破分団屯所が設置される

平成16年3月26日に新しいポンプ車が配備される。

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